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フィギュアスケート

村主 章枝 fumie suguri

フィギュアスケート

1980年、神奈川県生まれ。父・信孝さんの仕事の関係で、3才から2年間アラスカで過ごす。遊びの中でスケートを覚え、帰国後の6才からフィギュアスケートを始める。清泉女学院を卒業、現在は早稲田大学教育学部に在学中。94、95年の世界ジュニア選手権で4位、97年、2000年の全日本選手権で優勝。2001年四大陸選手権優勝、同年世界選手権大会7位。日本の女子フィギュアスケートの第一人者となった村主選手は、豊かな情操教育によって育まれた表現力に定評がある。

村主章枝

季節や喜び、怒りなどの感情をいかに全身で表現しきるか

――村主選手は、2002年ソルトレークシティー冬季五輪のテスト大会を兼ねたフィギュアスケート四大陸選手権でみごとな逆転優勝を飾り、バンクーバー世界選手権では7位に入賞。ジャンプもさることながら、その“演技力”には目をみはるものがありました。まず、その演技はどのようにしてつくられるものなのか伺わせてください。

「日本ではフィギュアスケートというのはまだまだメジャーな競技とはいえませんが、海外では非常に人気のある競技で、専門の振付師が職業として存在しています。私は、そうした海外の振付師に選曲やプログラム構成をお願いしています。その振付師は、私の過去のさまざまなデータから、どのような曲が私にいちばんあっているのかということから考えてくれるので、とても信頼しています」

――全てを振付師に一任しているわけではないのでしょうね。やはり村主選手にも、自分なりの演技のイメージがあるでしょうから、そうした互いのギャップをどのようにして埋めていくのかというのが大切なのでしょう。

「曲が決まれば、そのシーズン中は練習だけでなく、その後もその曲をよく聴きますから、当然自分なりのイメージもふくらんでいきます。だから私は、自分の意見を振付師にぶつけるようにしているのです。ひとりよりもふたりという感じで、ぶつかりあいながら、よいものをつくりあげていくというスタンスです。フィギュアスケートは、ただ単に技術的な事が求められるのではなく、観客に何かを伝えることが大切なんです。だからこそ、私は徹底的に話し合うようにしているのです」

――その自分の感性に磨きをかけるために、村主選手が行っていることはなんでしょう。

「幼いころの情操教育とでもいいましょうか、それが大きな基盤になっていると思います。私は、小・中・高校と、カトリック系の学校に通っていましたが、その学校が自然に親しむのを大切にする学校だったことも非常に影響していると思います。また家庭環境も、特別な英才教育というわけではないのですが、きれいな星や、美しいものなどを父親がよく一緒に見てくれたことも感性を豊かにするのにいい影響を及ぼしたのだと思います。人間の情緒が築きあげられる時期に、そういう経験をたくさんさせてくれた環境にまず感謝したいですね」

――そうした豊かな感性を、今度はどう演技に生かしているのでしょう。

「たとえば、プログラムが『春の曲』だとしたら、そこから連想されるものを演技の中に表現するのです。春にはさまざまなものが芽生えるというイメージがあります。樹木や花だけでなく、冬眠していた動物たちも目覚める。単純にきれいだとか暖かくて気持ちいい、というだけではなく、生命の持つ力強さがいちばん感じられる時期でもあるわけです。そうした春から感じとれるものすべてを私の全身を使って表現していくのです」

――確かに、“春”のような抽象的なものを表現するのは難しそうですね。以前クラシックバレエのバレリーナの方にお話を伺ったことがありますが、たとえば演題「白鳥の湖」を踊る場合に、自ら白鳥になったつもりで演技すると聞きましたが、春というのは漠然として難しいですね。

「そうなんです。ストーリー性のある曲や、主人公が明確で具体的なものであれば、ある程度イメージもしやすいと思います。もちろんその具体性に合ったつくりこみには大変な努力と時間も必要だとは思いますが。

しかし春というのは、その表現するのも自体が何であるか、どうであるかということが問われるわけですから、出発点が異なり、それをどう表現するかというのも見られるわけです。

他には、怒り、喜びなどの感情を観客に伝えるのも難しいことです。自分の中の、なぜ、どのようにうれしいのかという理由が明確でなければ、十分には表現できません。以前、ミシェル・クワン選手が中近東というのは、その国々の成り立ちの歴史的背景が非常に複雑ですが、それをみごとに表現きった彼女は、技術的な部分もさることながら非常に感性豊かな選手だと実感しました。私も曲が決まった後のプログラムをつくりあげる段階では、その曲をどのような作曲家がどのような思いで作曲したのか、ということを押さえつつ、その曲が作られた時代背景やその国の風土などのバックグラウンドも加えていきながら、イメージをふくらませていくようにしています」

――今、イメージという言葉を使われましたが、それは内的イメージと外的イメージのどちらですか。

 「フィギュアスケートの世界では、自分の演技をビデオで見ているような外的イメージを持つことはよくないとされています。先ほどの感性ではないですが、氷との接点の感触、回転時の軸の意識などといった、あくまでも内側の感覚的なものをいかに引き出していくかということが大切なのです。これは技術的なことが大部分です。

また、イメージと言ってよいのかどうかわかりませんが、それを鋭敏に働かせることによって観客と一体化を図るようにも努めています。自分の思い描いた春を観客に伝え、それを受けとってもらっているかどうかを察知し、観客の気持ちの高まりと相まって、また新たな演技をかもしだすといった相互関係を築く手段としても大切な能力だと思います。そのようにして自分が発したり、あるいは観客が発する空気や雰囲気をいかにかぎとるかは、常に心がけているところです」

――フィギュアスケートという競技は、スケートシューズのエッジ(刃の部分)の点、もしくは線だけで身体をコントロールするという、身体操作に関しては非常に繊細な競技であると思われます。身体各部のセンサーをより発達させ、足裏の感覚などを鋭くすることで、氷をうまくとらえる事が大切だと思われますが、その点はいかがでしょう。

「滑るというのは、足の裏の摩擦や抵抗、そして回転時の遠心力との関連がとても重要です。これまでの私は、そういう細かい部分のフィードバックに関して十分に意識づけができていなかったように思えます。気に留めていないということはその部分に対する神経回路が未完成で、脳からの指令がつたわっていないということになります。しかし、今の佐藤信夫コーチに出会ってからは、特にそのあたりのことを強く意識するよう指導されているせいか、徐々に精度も上がってきたように感じています」

――佐藤コーチには、具体的にどのように指導されるのでしょう。

「コーチが外から見ているイメージと、私が感じるイメージとのギャップを埋めていく作業が主です。ここで問題となってくるのは、こういうイメージは言語化が非常に難しいということです。つまり、コーチと選手のふたりが感じとっている感覚は必ずしも同じ言葉によってアウトプットされるとは限らないからです。もしかしたら同じことを言っているのに、言葉が異なるがために伝わらないということさえあるかもしれません。ですから私が指導を受ける時のポイントは、コーチが外から見ていて『今のはよかった』と言ったときの自分の身体感覚を記憶しておくことなんです。

足裏を中心とした身体各部の身体感覚について、これが鈍かったら技術や、それに伴って表現したいものの精度が向上しません。自分ではまっすぐジャンプしていると思っても、佐藤コーチからは傾いていると指摘を受ける事が、けっこうあるのです。そういうことを微妙な身体感覚によって修正していきます」

エッジや靴底を通して得られる感覚を十分に受けとる

――よく野球選手は、バットと腕を分離するのではなく、腕の延長であるという意識でスイングを心がけることがあります。そうすることによって、道具を操作しようとする強い意識が弱まるからです。村主選手の場合、スケートシューズと足もしくは身体を一体にさせるという意識の持ちようを心がけるようなことはありますか。

 「昔の選手は、靴ずれなどを防止するために厚手の靴下をはいていたそうですが、今は靴下をはかない選手さえいます。それは、やはりエッジや靴底を通して感じられる感覚が十分に受けとれないからなのです。私は冷え性なので靴下ははきますが……。ただ、そのあたりに関しては佐藤コーチからも、『エッジの微妙な感覚の違いを理解するように!』とよく注意を受けます。エッジは、使えば欠けたりさびたりしますから、私の場合コーチが研いでくれるのです。同じように研いだつもりでも、はいていると微妙に滑り心地も異なると聞きますから、そういう感覚を早く身につけたいと思っています」

――そうした微妙な変化に気づけるかどうかが、さらに村主選手を新かさせてくれるのでしょうね。シアトル・マリナーズのイチロー選手にインタビューしたとき、彼はバットの重量に対してかなり神経を使っていました。雨や湿気の多いときには、木製バットは微妙に重くなり、その変化がわずかなバットコントロールのズレにつながることがあるのだということです。それを防ぐためにベンチでバットの湿気をとばす工夫をしたり、そのバットの重さに合わせて、いつもの身体感覚から調整していくそうです。

ほめ方、しかり方のコーチングテクニック

――ところで、練習中、佐藤コーチからは、しかられることとほめられることとどちらが多いのでしょう。

「基本的にはよくほめてもらっています。でも、1シーズン中、2、3回くらいは強くしかられます。それは、コーチと私とで大会などに合わせて年間計画を作成するのですが、しかられる理由は、私がついそのレールから外れてしまうときがあるからです。ジャンプがうまく回れないとか、技術的なミスによってしかられるというものではありません。私は性格的にもほめられることのほうが好きなので、それもわかってそうしてくれているのかもしれません。でもその2、3回強くしかられる事で、私もピリッと引き締まるし、しかられた分だけ次にほめられたときの効果もあるような気がします。佐藤コーチは、上手に私のメンタル面を外からコントロールしてくれます」

――佐藤コーチはどのような方法でしかるのですか。

「しかり方も私の性格をよくつかんでくれています。実は私の父親は、私が小さいころに悪いことをしたときに、私を前に座らせ『なぜそのようなことをしたのか、理由を説明しなさい』というとがめ方をしてきました。それが影響しているのか、しかられるときも、なぜそれがいけないのかなど理由を明確にしてもらわないと、理不尽にしかられたのでは腹が立ってきて素直になれないというところがあります。コーチは私をしかるときは必ず、的確にその理由を説明してくれるので、その言葉が心に届くのです。そういう信頼関係ができると、仮にコーチがしかる理由をこと細かに説明しなくても、言わないのはなんらかの理由があるんだと私のほうで察することができるのです」

――ありがちなコーチから選手への一方通行的な叱責方ではなく、互いに相手のことを理解しようとする理想的な関係ですね。そうして関係が村主選手の心理面に与える他の効果のようなものはありますか。

「実は、ソルトレークシティー冬季五輪の出場権を勝ちとるための世界選手権のときには、とても緊張していました。ですから7位入賞したときには、『これで日本に帰れる!』と思ったものです。そういうときの緊張の解消法が私にはふたつあって、ひとつは自分は好きでフィギュアスケートをやっていると考えることです。好きだからあれだけ練習をやってきた。それを出しきれないで終わるのは悔しいし、それに2万人という大観衆に見守られる中で、自分の好きなことで自分を表現できることを幸せだと感じるんです。

もうひとつは、反対に家族やコーチに恩返しをするためにやると考える。コーチにしても、なんの見返りも期待しないで自分に与えてくれるものがたくさんあるわけです。せめて持てる力を最大限発揮することで、少しでも恩返しがしたいと思うんです。自分のためと、大切なだれかのためというふたつのバランスが私には重要なんです」

審判の目にいかに美しく映るようにするか―。表現力にもテクニックが

――ところで、フィギュアスケートにおける表現力についてですが、どうしても海外の選手と比較して、腕や脚の長さという点では日本人選手は不利ですよね。これは、どんな競技でもいえることですが、そうした不利な点についてどうカバーされているのでしょう。

「言われるように海外の選手と比較すると、私なども立ち姿、体格、顔の大きさや身体とのバランス、腕の長さなどどれをとっても秀でているとは言えません。しかし、不利だからと嘆いても仕方がありません。不利な分、他の選手たちよりも勤勉に練習を重ね、頭を使っていかにそれを補うだけの表現方法を身につけられるかだと思うのです。私は背中が薄いので、審査に当たる審判や観客にひ弱な印象を与えてしまいがちです。でもその弱点を、他の選手よりもスピードやパワーを身につけることで克服していきたい。そうすることで、見ている人たちにも力強さをアピールしたいと考えています。
 また、錯覚を利用すると言うか、変な表現ですが、いかに人の目をごまかせるかということにも頭を使っています」

――常に自分滑っている位置と、審判のいる位置を正確に頭の中に入れ、彼らの目にどのようにしたら美しく映るかというテクニックを考えるということですね。

「そうした演技のテクニックはバレエの先生に教わりますが、手足が短いのであればいかに長く見せるかということについての技術指導を受けます。そのためには腕が肩甲骨のあたりから動き出すようにする身体操作法などもあります。あとは、遠近法を用いることもありますね。たとえば、(審判席に向かって)両腕を頭上で輪を描くようにさせるアンオーの形で、頭の位置を前後させるだけでも頭が大きく見えたり小さく見えたりするものです。細かなことですが、審判や観客に対するアピールについても、そういうテクニックがあります」

ミスをしても常に前だけを見つめる

――話は変わりますが、ジャンプなのでミスしてしまったときの気持ちの切りかえはどのようにして行っているのでしょう。

「ジャンプで転んでしまっても曲は止まりませんし、プログラムも先に進みます。だからそこで落ち込んでいる暇はないので、常に前だけを向いて、ミスしようがしまいが過去に意識を向けないようにしています。それにマイナスのジャンプに対する身体感覚が強く残ってしまうので、次のジャンプにも影響が出てしまいます。

逆に成功したからといってその気持ちに浮かれていると、気の緩みにもつながります。ひとつひとつの事柄に一喜一憂するのではなく、過去のものとして常に前にあるプログラムだけを考えるようにしています。それにコーチからも、『人のすることなので失敗することもある』と言われていることも、心のゆとりになっています」

――ポジティブシンキングというよりも、どちらかというと消化思考に近いのかもしれません。プログラムの変更をすることがありますが、それは演技前・演技中とどの段階で決定するのでしょう。

「もしフィギュアスケートがバレエのように芸術だけで語られるのであれば、プログラム変更などせずにそのまま演技をしていくはずです。フィギュアスケートは芸術的要素が非常に多いですが、同時に点数で勝ち負けが競われる競技でもあるわけです。そのつど、大会の流れの中で、相対的に(他の選手を)みて計算し、安全策・強行策を取り入れたときには、そうしたプログラムの変更が行われることはあります。もし最初にミスジャンプをしたとすると、審判にその失敗を感じさせないくらいの評価を得られるような挑戦的なプログラムに変更したり、逆に前半、中盤と完璧で最後に大技が残っていたりすると、あえて危険を冒さない選択をすることもあります。芸術的表現とジャンプの回数、難度などの合計で決まる競技でもあるため、それらをどのように組み込んでいくかが勝敗のポイントになるのかもしれません。

 優勝を果たした四大陸選手権では、前半で難易度の高いジャンプを入れずに抑えていったので、ジャンプの数はすこし少なかったのですが、全体のバランス、流れなどで他の選手より多少優れていたので勝つことができました。フィギュアスケートでは、最終的にどのあたりの得点が勝負どころになるのかという判断と、確実性においてどれだけ精度を上げておくかが全体としてのポイントになるのです」

《高畑好秀著「成功するメンタル改造術」(主婦の友社)より転載》



メンタルトレーナー高畑好秀プロデュース