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陸上

太田 陽子 yoko ota

陸上競技 走り高跳び

1975年、神奈川県生まれ。173cm。湘南工科大学附属高校陸上競技部時代にすでに日本女子をリードするハイジャンパーとなり、高校3年時に世界ジュニア選手権(韓国)で1m87cmを跳び5位に入賞し、大学1年時には自己記録に迫る1m93cmを跳んだ。自己記録は1m94cm。走り幅跳びは6m16cm、三段跳びは13m14cm。シドニーオリンピックでは予選で自己タイ記録の1m94cmをクリアした。決勝は1m90cmで11位。この10年近く、日本を代表するハイジャンパーでありながら、長いスランプをも経験した太田選手。自分を生かせる環境を自ら整えることのできる意志の強さを持っている。

太田陽子

スランプの大学時代、全く結果が出ず

―太田選手はシドニーオリンピックで、みごと走り高跳び(以下、ハイジャンプ)で決勝まで進まれ、日本女子のハイジャンパーのリーダー的な存在ですが、いつごろから競技力が向上していったのでしょうか。

「私は“日の丸”をつけてから10年近くになりますが、最初の2、3年は競技をするのにも全く動じることはありませんでした。つまり無心で競技に取り組めていたので、何も考えず、何も恐れず競技に集中できていたのです。それがちょうど高校時代のことで、競技力も急速に向上したように思いました。しかし、大学に入学してから卒業するまでの4年間は長いスランプというか、結果が全く出ませんでした。
 そしてミキハウスに入社し、再び高校時代に指導を受けていた湘南工科大学附属高校の宮尾勉先生にみてもらうようになってスランプを脱し、また成績も上がっていくようになったのです」

―大学時代の大きなスランプの原因のひとつに、環境の変化に伴うメンタル面の変化があると考えられます。無心で競技に打ち込めていたのに、そうでなくなってしまったのは何が起因していたでしょう。

「大学の陸上競技部に入部して、すぐに『ああ、ここは自分がハイジャンプに打ち込める環境ではないな』と感じました。その原因はいくつかあげられますが、ひとつは高校時の部活動とは異なり自主性がさほど尊重されず、そうした雰囲気に大きなショックを覚えたことです。人間関係にしても気を使い、競技に専念できなかったという感じでした。練習方法にしても、すべてがマニュアル化されており、ウォームアップからクールダウンまで全員一緒に全く同じようにするというスタイルでした。ハイジャンプは個人種目ですから、個々人で練習メニューも異なるはずなので、今の自分に何が欠けていて、それを補うためにはどうすればよいかを選手自身が考える作業が必要なのです。
 高校生までそうやってきたので、全員一律に従った形で練習をこなしていくことに、精神的に耐えられなくなってしまったのです。それに、そういう練習を続けていたのでは競技に対する感覚が鈍ってしまうようにも思えました。ただ、陸上競技部は600名くらいの大きな組織だったので、今思えば練習方法のよしあしというよりも、そういう練習方法を選択しなければ全員が効率よく練習できなかったのだと思いますが」

―競技以外に考えなければならないことが増えていったわけですね。そうした雑念や不満を抱いて競技を行っていると、「いったい自分はなんのためにハイジャンプをやっているのか」という疑問もわいてくるのでしょう。試合などでもそうしたメンタル面での影響は見られたのでしょうか。

「あのころは、1本目の跳躍はとてもよい状態で跳ぶことができましたが、それ以外は全部悪かった。1本目は低い高さということもあって落とせず、自分の意地やプライドも働いてそこそこよい跳躍ができていたようです。それ以外での跳躍でも同じように挑んでいるつもりなのですが、実はトーンダウンしていたのです。これは、高校の宮尾先生から大会の後に教えてもらったことですが、気持ちが乗っていると私は無意識のうちに跳躍前にジョギングしたりジャンプしたりして、身体を機敏に動かしているらしいのです。大学時代はその1本目以外は、外から見ていても気持ちが切れていたというのがわかったそうです。その原因は今でもはっきりわかりませんが、おそらくハイジャンプに対する楽しみや、目的意識のようなものが薄れていたのでしょう。やはり自分の意地やプライドだけでは気持ちを持続させるのは困難ということです」

肉体的にも精神的にも負担をかけすぎないのが最適な練習

―太田選手のハイジャンプに対するモチベーションを低下させてしまったのが、体育会的な上下関係の厳しさや、団体行動(責任)といった気風であるとすれば、それが結局はハイジャンプのパフォーマンスにマイナスに作用してしまったのでしょう。実際、素晴らしい素質や才能を持っていても、メンタル面でつぶれていく選手も少なくありません。高校生のうちにそうしたことで病んでしまう選手もいますが、太田選手の場合はその点で恵まれていたのでしょう。

「そうですね。そういう点では先生との出会いが幸いしました。宮尾先生の基本方針は、最適な練習を追い込まずに楽しく行うというものだったのです。最適な練習とは、肉体的にも精神的にも過度の負担がかからない練習のことです。そして楽しくやるというのは、その競技の真の面白さを理解し、そのうえで上の目標をひとつずつ達成していく喜びを味わうという意味です。ハイジャンプは普通の競技(種目)と大きく異なる点があります。おおかたの競技種目では、しぅかり食べてトレーニングして筋力をつけますが、ハイジャンプは筋肉をつけすぎてはいけません。もともと重力に逆らって行う競技で、瞬発力が最も要求されるので、しっかり休養をとって心身ともにリフレッシュした状態で臨むのが理想なのです。不思議なことに身体はリフレッシュしていても心がバテていてはキレのいい動きはできないのです。
 高校生のときは少人数で、先生もそういう方針だったので、跳びたいときには思いっきりやって、休むときは心身ともに十分な休養をとっていたので、メリハリのある競技生活を送ることができたのだと思います」

―確かに、常に新鮮な気持ちで「ああ、跳びたい」と思える状態をつくり出して練習に臨むというのは、少なくともハイジャンプでは合理的ですね。一見、休むというのは非生産的な作業ですが、ダラダラとマンネリ化した状態で取り組むよりは生産性を高めることになると思います。

「大学1年生のときに、私はそうした生産性や合理性を訴えつづけましたが、大きな組織では無理でした。その自分の考えと組織の考えとのギャップにいら立ち、競技に集中できませんでした。でも宮尾先生から、合理性は競技を行ううえでは非常に大切なことだけど、集団は集団で社会生活を営むうえで大切なことだから、割りきってその集団の中で、可能な合理性を追求しなさいとアドバイスを受けました。しかし当時は、それができませんでした。オールオアナッシング的に自分がその組織色に染まるか、あるいは組織が自分色に染まるかのどちらかだぐらいに考えていたのです。現実にはそのどちらでもなかったわけですから、自分の中には大きなジレンマがありましたね」

―スポーツでは、時に個よりも集団が重んじられる場合があります。海外では全く逆の思考があるようですが、海外の大会でそのようなことを感じたことはありますか。

「海外の選手は、自分のために競技を行い、日本ではいまだやらされている選手が多いようにも思えます。個の位置づけが高くなるほど、自分の意志や自我が前面に出てくるので、やるという意識が高まるのだと思います。それに、海外の選手は、高校生ぐらいまではその競技の楽しさを十分に感じとれるような教育がなされ、『自分はこの競技でもっと上をねらいたい』という欲求が強まっているところで、指導者から技術面での専門的な指導がなされるようです。日本の場合はずいぶん変わってきたと聞きますが、それでも高校生のうちにバーンアウト(燃えつき症候群)してしまう選手もいるようですね。楽しさを十分に知らないうちにハードな練習ばかりを行うと、選手にとってはやらされている感じになり、つまらないことをやっているようになってしまうのではないでしょうか」

決まった動作を意識して行うことで集中力を喚起する

―これまでは組織とメンタルの関連性についての話でしたが、今度はハイジャンプという競技とメンタル面のかかわりについて伺います。まず個人競技はいずれもメンタル面の強さが要求されるように思われますが、このあたりどうでしょう。

「試合では跳んでいるうちにやがて自己ベストまで高さがやってきます。そこからが本当の意味でのメンタルの強さが要求されます。無心で跳べつづければよいのですが、『自分の限界にきた。もうダメかもしれない』と思ってしまうと、あきらめの気持ちが強まって跳べないし、逆に『自己ベスト以上にまだまだ跳んでやろう』という強い気持ちを急に抱いてしまうと、それが身体の力みにつながり失敗してしまいます。
 私自身、練習で、動き自体では2mを跳べるという感触を得ているのですが、大会で結果が出ないというのはメンタルの弱さなのでしょう。自己ベストの高さまでは、無心で跳べていたのが、その高さを前にすると雑念ばかりがわいてくるのです。すると課題は、そうした雑念を生む要素をいかに消していけるかになります。それができれば、高さに対する限界値をどんどん広げていくことができるはずです。
 たとえば、1m96、97cmと2mというのは基本的にはジャンプ技術に差はないのですね。その数cmを跳べるかどうかは、『あ、もう能力の限界だ』と心で決めつけるかどうかの違いなのです。だから今後は、大会でもドンドン高さにチャレンジして、『自分は2mでも跳べるだけの力を持っている』という自信を心の中に植えつけることによって無心を維持していきたいと思っています」

―ところで、ハイジャンプは自分が跳ぶ時間帯に集中力を最大に持っていかなければならないと思います。競技会で他の種目の関係で急に跳ぶ時間がズレたりすると聞きますが、そうしたときの集中力のコントロール法はありますか。

「ハイジャンプでは、ピットに入ってから1分以内にジャンプを終えていなければなりません。つまりピットに入ってから急に集中力を0から10に上げる時間的余裕はないのです。だからピットに入る前から集中力を7ぐらいに高めておいて、それからピットに入って残り3ぐらいを高めるようにします。そして1本目が跳び終わって6くらいに落としてその集中力を維持し、次にピットに入る前に7にしてから、残り3を高めるようなリズムにします。1本目が終わっても、集中力を0までにゆるめることも、また10のまま維持することもしません。そうしたリズムの中でピットに入って最後の3を高め、『さあ、行こう』思っても、トラック競技の関係でストップがかかる場合はあります。そういうときには、気持ちを切りかえるようにしています」

―そのコントロール法を教えてください。

「基本的には競技から一度気持ちを外すようにします。外的な要因でスタートにストップがかかるのはしかたがないと思いつつも、『せっかく集中していたのに』と腹立たしい気持ちになるときもあります。ですから競技から気持ちをそらすことでそうしたマイナス心理を打ち消すようにしているのです。たとえば。『この試合が終わったら何を食べようか』『今度何をして遊ぼうか』などと考えたり、スタンドを見渡して人間ウォッチングをしたりします。これが比較的うまくいくのは、日ごろからの練習のときにはしっかりハイジャンプのことを考え、練習が終わった瞬間からは全く考えないようにメリハリをつける習慣が身についているからだと思います」

―その次の過程として、外した気持ちを元に戻すにはどうするのでしょう。

「以前は、あえて競技に専念しようとして気持ちの転換を図っていました。そして『そろそろ行くぞ。頑張るぞ』と気持ちを高めようとしていました。でも、それではピットに立ったときに変な力みが生じてしまいます。やはり無の境地で跳ぶのがいちばんいい。
 シドニーオリンピックのときにも、無理に頑張ろうと思わないように努力しました。方法としては、(無意識にできるようになってきましたが)宮尾先生によれば、集中できているときにはいつも決まった動作をしているとのことでした。これが条件づけであって、逆にその決まった動作というのは、両足ジャンプと手をブラブラさせながらの軽いジャンプです。ある意味では、これは身体から心へのアプローチで、頭の中だけで集中しようとするよりも、心と身体の統一という感じで私には向いているように思えます」

助走の1歩目から残りの3歩までに集中力を高めていく

―「頑張らない努力」とは興味深い表現です。いずれにしても身体に余計な力が入らないような試みということですね。今、ピットに入るまでの集中力について伺いましたが、今度は助走から跳躍までのメンタル面でのコントロールについてお聞かせください。

「集中力も含めて自分のメンタル面を本当に最高潮まで持っていくのは、跳ぶ直前の3歩からですね。助走のスタートから最高潮に持っていくと余裕がなくなってしまい、踏みきりのときにメンタル面でのバテが生じてしまいます。だから助走の1歩目から残り3歩目までの間に徐々に高めていくのがベストです」

―太田選手も含めて、ジャンプ系競技の選手はよく助走の前に観客に手拍子を求めるときがありますが、これは選手のメンタル面にどう作用するのでしょうか。

「選手によっても異なるのでしょう。たとえば、決まった動作による条件づけと同じような働きを求めて行う選手がいたり、私の場合はどちらかというと、ひとつは観客に自分を見てくれというアピールに使っていることが多いです。大勢の人々に後押しされるような気分になって、無理に自分を奮い立たせるようなことが必要なくなってくるのです。ふたつ目は助走のリズムをつくるというのもあります。その手拍子と自分が助走に入っていくリズムが合うときには非常に気持ちよく跳べます。でも実際は途中でその手拍子が速くなって助走に入るタイミングが合わないときもあります」

―そのようなリズムを日ごろの練習に活用するようなことはありますか。

「今ではほとんど活用していませんが、初心者が跳ぶ直前のリズムをつかむのに手拍子は活用できるでしょう。手を跳躍の3歩くらい前から『タ、タ、ターン』とたたいてあげると、耳から入ったリズムにしたがって身体を反応させることができるのです。これは言葉による説明よりも効果的に作用する場合が多いのです。宮尾先生の指導法でもありますが、跳躍までの脚の運びをたくさんの言葉を用いて表現するのではなく“擬音”によってスムーズにイメージをつかませるのです。私はイメージトレーニングでも、この感覚・イメージを大切にしています。今後は跳躍シーンを映像イメージとして活用することも考えています。その映像イメージは感覚イメージと異なり、どちらかというとフォームを重視したものになるため、あまりイメージが強すぎると気持ちがそれに奪われてしまい、フォームに関してあれこれ余計なことを考えてしまうので、感覚イメージとのバランスのとり方が今後の課題になってくるかもしれません」

《高畑好秀著「成功するメンタル改造術」(主婦の友社)より転載》



メンタルトレーナー高畑好秀プロデュース