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野球

野村 弘樹 hiroki nomura

元プロ野球選手

1969年6月30日生まれ/広島県出身
PL学園高~横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ(1988-2002)
コーチ歴:横浜ベイスターズ(2003-2005、2007-2010)
PL学園高では高校3年時に春・夏連続して甲子園で優勝。立浪和義、片岡篤史、橋本清といった後にプロ入りする選手が揃った「史上最強」ともいわれるチームのエースとして活躍した。その年のドラフト3位で横浜大洋ホエールズに入団、1年目に高卒ルーキーとしては史上5人目の「初登板完封勝利」を挙げる。93年には17勝を挙げ、最多勝に輝いた。98年には13勝で38年ぶりのリーグ制覇、日本一に貢献。2002年に現役を引退した。プロ通算101勝88敗、998奪三振。
現役引退後の2003年には湘南シーレックスの投手コーチに就任。2004年に横浜ベイスターズの投手コーチに昇格した。2005年でいったん退団し、野球解説者を務めたが、2007年に復帰。2010年に退団するまで投手コーチとして指導にあたった。

野村弘樹

「観察力」が自分を高める

PL学園時代に「観察力」を身につけた

――野村さんは小さい頃、どんな少年だったのですか?

毎日、父と野球をやっていました。友達と遊びに行っても、父が帰ってくる5時過ぎには家に帰っていましたね。父が帰るのを見計らって、駐車場においてあるタイヤを叩いて、やっているフリをして(笑)。特別な練習はしていないですけどね。

――中学までは広島で育ち、地元にも強豪校がある中で、親元を離れて大阪のPL学園を選んだのは?

理由は単純なんです。ユニフォームがカッコいいから(笑)。当時、「逆転のPL」というイメージがあって、憧れましたね。

――ためらいはなかったですか?

ありましたよ。桑田さん(真澄・読売ジャイアンツ~ピッツバーグ・パイレーツ)、清原さん(和博・西武ライオンズ~読売ジャイアンツ~オリックス・バファローズ)が2学年上におられたチームですからね。はたして自分がやっていけるのかというのもありましたけど、やってみたいという気持ちでしたね。
自信は無かったんですけど、PLで野球をやることを目標に、中学時代から練習に取り組めましたね。立浪(和義・中日ドラゴンズ)や橋本(清・読売ジャイアンツ~福岡ダイエーホークス)もPLに来ると聞いて、彼らのすごさは知っていましたから、あの中でやるとなると、今は何をしなければいけないかを考えて、ジムへ行って体を鍛えました。

――全国からレベルの高い選手が集まる名門ですから、競争も激しかったのでは?

そうですね。スピードは橋本の方が速かったですし、僕がどうして「背番号1」を背負えたのかは中村監督(順司・現名古屋商科大野球部監督)に聞いてみないとわかりませんけど(笑)。ただ、その競争の中で「観察力」がつきましたね。
――「観察力」ですか?

全体練習が終わってからが本当の練習でしたから、「あいつはどこで何をやっているんだろう?」と、じっと周りを観察するわけです。「あいつがあれだけやっているから、俺はそれ以上やろう」と。

――そうして競争を勝ち抜いてレギュラー入りして、PLのユニフォームを着た時はどう感じましたか?

うれしかったですね。ものすごくカッコよく見えましたし、先輩方が築き上げてくださった伝統の力を感じました。今でもそのユニフォームは大切に持っています。実はこの前、子供たちに着せてやりました(笑)。中2と小6で、二人とも野球をやっているので。

――甲子園のマウンドは、やはり緊張するものですよね?

意外としっかりしていたんですよ。
落ち着いていたというか、安心していましたね。実は、自分自身が「投手としてよく抑えた」という感じもないんですよ。バックもしっかりしていたし、後ろには橋本も岩崎(充宏・青山学院大~新日鉄名古屋)もいたし。それに甲子園では、必ずと言っていいほど味方が先取点を取ってくれたんです。だから僕は、序盤を抑えることだけに集中できたんですね。「自分がなんとかしなきゃ」というプレッシャーはありませんでした。
――甲子園では、PLを倒すために全国の強豪が挑んでくる。それは相当なプレッシャーだったのではないですか?

勝たなければいけなかったですからね。予選に勝って甲子園に行くことではなく、甲子園で優勝することが目標でしたから。精神的には強くなりましたね。
キャプテンの立浪がうまくコントロールしてくれて、メンバーに入れなかった選手も含めて、みんなで一丸となって全国制覇に向かっていました。
僕も予選で打たれた試合がありましたが、その時は打線がカバーしてくれるなど、「個々」ではなく「チーム」でしたね。みんながフォローしあっていました。
その意識が強かったから、甲子園で春・夏連覇できたのだと思います。
――弱い「個」をチームワークで補うとか、「個」は強いけどバラバラというのではなく、強い「個」で、かつチームワークもあった。まさに史上最強のチームですね。

まあ、4人もプロへ行っているわけですしね(笑)。
*この代のPL学園からは、野村、立浪、橋本の3人が高卒でプロへ進み、片岡(篤史・同志社~日本ハム~阪神)も4年後にプロ入りしている。
――中村監督のご指導は、どういうものだったのですか?

これはPLの教えでもあるのですが、例えばケガをするのは罰だという考え方なんですね。
なぜケガをしたかというと、「偉そうにしていたんじゃないか」とか「怠慢だったのではないか」と考える。そういう気持ちがケガにつながる、と。だから人の嫌がることを率先してやるようになりました。ゴミを拾うとか、トイレ掃除をするとか、そういうことがきちんとできるようになりましたね。

プロで実績を残せた理由

――野村さんはPLを卒業してすぐ、ドラフト3位で大洋ホエールズへ入団されました。

本当は大学へ行く予定だったんですが、
大洋ホエールズの古葉(竹識)監督が指名してくださった。迷いましたが、4年後にプロが指名してくれるかどうかわからない。とにかく4年間は大学へ行ったつもりでプロに挑戦しようと思いました。
――4年間どころか、1年目にすぐに結果(1984年10月2日、対広島戦で高卒ルーキーとしては史上5人目となる初登板完封勝利を挙げる)を出されましたね。

何もわからない中で、ただ一生懸命やっただけです。プロへ入って、スピードの違いに苦労しました。ブルペンの隣で投げているピッチャーの球の速さだったり、打球であったり。なにせTVで見た人、例えば斉藤明夫さんや高木豊さんといっしょにいるのを不思議に感じていたくらいですから(笑)。初登板の時も、ただひたすらキャッチャーミットめがけて投げただけです。
――プロへは野村さんと同じように「すごい」と言われる人たちが入ってきます。その中で結果を残せる選手と残せない選手の差は、どこにあるのでしょうか?

力はそんなに変わらないと思います。そこで何をしなければいけないかというと、やはり頭を使わないといけない。そう、それには「観察力」なんですよ。周りを観察して、まず自分には何が足りないのかということがわからないとダメです。そして何が足りないのかがわかったら、それからどうするか。目標を小分けにして、少しずつクリアしていくことが必要です。
――野村さんの場合はどうされたのか、具体的に教えていただけますか?

僕の場合は、右ピッチャーをよく見ました。シャドウピッチングをする際、僕は左投げなので、鏡に映るのは右ピッチャーですよね。だから、いい右ピッチャーを参考にしました。これにも「観察力」が必要です。西崎さん(幸広・日本ハムファイターズ~西武ライオンズ)とか佐々木さん(主浩・大洋ホエールズ~シアトル・マリナーズ~横浜ベイスターズ)の投げ方を見て、体の使い方を学びました。例えば佐々木さんの左足の使い方を見て、「あの方が力強いな」というように自分のイメージと重ねながらやっていましたね。
自分のフォームを見て研究するのは、癖を直すときくらいでした。
――野村さんはプロで101勝を挙げられましたが、その要因は何でしょうか。

それは、後ろに佐々木さんがいたからですよ(笑)。
あと、テンポが良かったので味方が点を取ってくれたというのもありますね。球種がそんなに多くなかったので、打者に考える時間を与えないようにテンポ良く投げていましたから。
――プロ生活でこだわっておられたことを教えてください。

登板する日にいかにベストコンディションで入れるか。そればかりにこだわっていました。だから、登板予定の2日前から絶対に外出はしませんでしたね。登板した日は別ですが(笑)。登板2日前から当日まで、ルーティンが決まっていました。例えば日曜日に登板するとしたら、金曜日はランニングでバランスを整え、スパイクを磨く。土曜日は50球投げて、ショートダッシュ、そしてマッサージ。登板当日に食べるものまで決まっていましたね。
――それは何か理由があるのですか?

いつも同じことをするから、コンディションの違いがわかるんです。例えばショートダッシュにしても、タイムを計る。それで、「少し体が重いな」といったことを自覚するんです。
ただ、それだけやっても当日になってみないとわからない。予定通りにいかないんですよ、これが(苦笑)。
僕は自主トレも、毎年同じ日に始めて、同じことを繰り返しました。それでコンディションなどを含めて考えるわけです。自分ではこうしているつもりでも、そのようなボールがいかないとしたら、それはなぜか? 例えば股関節が固くなっているとか背中が張っているとか、そういうことを把握しながら調整していくんです。
――なるほど、そうやって自分を「観察」するわけですね。

ピッチングというものは、同じフォームで、同じタイミングで、同じポイントでボールを離せば、ボールは同じところにしかいかないはず。
でも機械じゃないから、そんなことはできない。その微調整に自分で気付かないといけないんです。

コーチという仕事で大切なこと

――コーチとして指導された経験の中で、「伸びる選手」の共通点はありますか?

自分をよく知っている選手は伸びると思いますね。自分がどういう選手で、今どういう立場にいて、何をしなければならないか?「観察力」を使って、そのプランをはっきりさせる。そして、それに対して自ら貪欲に取り組んでクリアしていかないとダメでしょうね。やらされているようでは伸びません。生きた参考書が周りにいっぱいいるわけですから、それをよく観察すればいいんです。
ただ、自分に合わない参考書もあります。コーチが言うことがすべて正しいわけでもない。コーチをしているとき、選手には「俺の言うことがお前にとって正しいとは限らない。あくまで一つの意見だ。あとは自分で考えろ」と言っていました。
――教えられてダメになってしまう選手もいますよね?

能力だけでプロへ入った選手ほど、陥りやすいことかもしれませんね。
教えられて、そこから先は自分の頭の中で整理しないといけないのですが、それができない。やはり自分ですからね、最後は。自分で考える、これがすごく大事ですね。
例えば、自分で「これをやらないといけない」と思っていることが間違っているかもしれない。でも、やってみないと、間違っていることにも気付けない。
いろいろ意見を取り入れる中で、自分で整理してやってみるというのは難しいのですが、まずはやってみる。それで自分の目標に近づいているのか、遠ざかっているのかを確認して、またやってみる。その繰り返しで階段を上がっていかないと。
――能力以上に、そういった「考え方」が大事なのですね。

「投げる」「打つ」といった基本的な能力は、
みんな持っているはずなんです。
そこから先にレベルアップするには、「頭」だと思いますね。「頭」といっても、勉強は足し算と引き算ができればいい(笑)。掛け算、割り算は電卓が使えれば大丈夫です(笑)。それより「観察力」や「考え方」の方が大事です。それと、常に向上心を持っていて欲しいですね。「できた」と思うのが怖いんです。調子がいいと、何もしなくても結果が出る。これで「できた」と思ってしまった時点で、成長がなくなる。それは絶対にマイナスです。

――コーチとして教えるとき、自分が名選手だった人ほど、もどかしさを感じるといったことはないですか?

自分を基準にして考えてはいけません。人それぞれですから。
例えば、ピッチャーは自分の体の強いところを使って、体を動かそうとします。地肩が強ければそれを使って投げるし、柔らかさが持ち味でしなるような腕の使い方ができる投手もいる。一概には言えないわけです。いろんな角度から言ってあげないといけませんね。
――中には自分の成功体験を、そのまま教える指導者もいるかと思いますが。

それはあまりよくないですね。自分がこうして成功したからといって、他人も同じようにやれば成功するとは限らない。「僕はこうしてやってきたよ」という話はしても、それを「やれ」というのは違う。受け取った側が、自分で考えてやらないと。

――では、野村さんが考える「いいコーチの条件」とは何でしょうか?

う~ん、それがわかれば苦労しないなあ(笑)
ただ、選手の目線に立って指導することが大事ですね。
例えば子供なら子供の目線といった、その選手のレベルに合わせた目線になって指導するのがベストだとは思いますね。

《取材/構成=スポーツライター 佐伯 要》



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