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水泳

長畑 弘伸 hironobu nagahata

競泳(平泳ぎ)・元日本代表

1969年5月22日生まれ NAS~同志社大学 
現・ヒュドール株式会社代表取締役
1988年、同志社大学1年生の時にソウル五輪に出場。100m平泳ぎで13位、4×100mメドレーリレーでは5位に入賞した。
91年には日本学生選手権の100m平泳ぎで優勝。92年、バルセロナ五輪の代表選考会を兼ねた日本選手権では、決勝に残ったもののフライングで無念の失格となり、そのレースを最後に現役生活にピリオドを打った。

長畑弘伸

ライバルに負け続けたからこそ、強くなった。

ライバル・不破央の存在

――長畑さんが水泳を始められたきっかけは?

僕は喘息の持病があったので、医師に「水泳を習いなさい」と勧められたんです。
それがきっかけですね。

――医師に勧められて始めた水泳で、後々オリンピックに出場するまでになられたのですか。

僕は選手としては遅咲きでして……。中学を卒業してから、東京のクラブ(NAS)で強化担当をされていた米川英則先生(故人)を頼って、大阪から上京してきたんです。

――そこで不破央さん(元100m平泳ぎ日本記録保持者)と出会われたわけですね。

そうです。不破さんは僕の1つ上の先輩になるのですが、当時すでに日本記録を持っておられましたからね。
飛び込みひとつとっても、まさに「怪物」だと思いました。僕なんかお呼びじゃなかったですよ(笑)
不破さんと同じ寮に住んで、同じ釜の飯を食べて、横に並んで同じ練習をして……。
ライバルというより、僕はいつも不破さんの後ろを泳いでいました。
あまりの怪物ぶりにびっくりしたんですけど、この人に勝たないとオリンピックは、ない。
「なんとか勝ってやろう」という思いもありましたが、当時は高校生で大阪から東京に出てくるヤツなんて誰もいなかったので、納得しないと大阪に帰れないという思いの方が強かったかも知れませんね。

――「不破さんさえいなければ」と思うことはありませんでしたか?

僕は2、3番手の、いわゆる「相手にされないグループ」のレベルでした。
米川先生は、試合で不破さんのタイムが悪いと「この試合はダメだった」という判断をされていました。
僕がいくら好タイムを出しても、不破さんがダメならダメなんです。
それがすごく悔しかった。そこからですね、どうにか勝ってやろうと思いはじめたのは。

――それはショックだったでしょうね。

不破さんとはかなり差がありました。
不破さんは小学校のころから静岡で米川先生に見てもらい、中学から東京へ連れて来られた。
それに対して僕は高校からです。どうしても先生のかわいがり方も違うわけです。
後から入ってきた者として、「よその子」みたいな気持ちになって淋しかった。
タイムも遅いし、「自分が相手にされていない」というやりきれない思いが続いていましたね。

――嫉妬のような気持ちですか?

嫉妬のキツイやつですね(笑)。そんな変な気持ちの塊で、強くなったようなものです。
――具体的には、どうやって不破さんに追い着こうとされたのですか?

ずっと同じ練習をして、ご飯も同じように食べているわけです。どこかで差をつけないと、と思いました。
不破さんが15回泳ぐなら僕は20回泳ぐとか。
それで朝錬をやれば追い着けるかと思って、こっそり早朝のプールに行くと、何か水の音がするわけです。
そうしたら不破さんが泳いでいた(笑)。
そんなことで、どうしても練習量が増えてオーバーワークになりましたね。
――オーバーワークはケガにつながりませんでしたか?

ええ、やりすぎて故障しましたよ(笑)。
でも故障するのは何か自分に原因があるはず。左右のバランスが悪い、とか体が固いとか関節の可動域が狭いとか。
それを克服していない自分が悪いから、まずそれを克服しようとしましたね。
――それでだんだん不破さんに追い着いた?

いや、それがねえ……。
イメージトレーニングもしたのですが、何百回、何千回やっても負けるイメージばかりなんですよ。
「タッチして、ガッツポーズ!」というところをイメージできない。
また、練習で不破さんと泳いでも、どちらかが手を抜いて勝負を避けるわけです。お互い手の内を見せないように、ね。
先生からも「ケンカするぐらいの気持ちがないと、勝てないぞ」と言われていました。
それで、ある試合の決勝で不破さんと直接対決することになったのですが、スタート台を前にして、お互い引っ叩きあいをしたんですよ。
――引っ叩くって、ビンタですか?

そう。まず不破さんが僕を「バチ-ン」とやって。
僕もふらつきながら、「先輩、失礼します」と一発。そうしたら日本水泳連盟から警告を受けました(笑)。
おまけにそのレースでもやっぱり不破さんの勝ち。ほんとに負けてばかりでしたね。
――そういう高いレベルで競う相手と、日常でいっしょに練習できるというのは、なかなかないことではありませんか?

練習のときから、すぐ横には最大のライバル・不破さんがいてくれた。
僕が強くなったのは不破さんのおかげですね。

ライバルに打ち勝った「弱者の戦略」

――不破さんに勝てるように変わっていったのは?

不破さんと練習しているうちに、負けないパターンを
1つだけ見つけたんです。
それは「ターンの時に、ひとかきで頭1つ抜く」というものなんですけど、これって水泳選手にとって悔しいんですよね。
それをコツコツ、コツコツやることで相手に精神的ダメージを与えていくんです。
それと練習していると「あ、次の1本は本気でくるな」というのが雰囲気でわかるんです。
そのときに僕も本気を出して、絶対に負けない。
これを徹底したことで、だんだん自信がついてきました。

――そしてついに、ライバルを破る時が来ました。ソウル五輪の代表選考会で不破さんを破って、オリンピック出場を決めたのですね。

あの時は、予選で不破さんと横に並んだんです。できれば決勝でワン・ツー・フィニッシュを決めて、いっしょに五輪へ行けたらよかったのですが……。
ここで不破さんをいてこまさんとアカン(注:いてこます=「やっつける」の大阪弁。やっつけないとダメだ、の意)と、思い切り前半から飛ばしました。
不破さんは前半からリードを奪い、そのまま逃げ切るタイプ。それに勝つには、頭から飛ばすしかない。
――後半バテてしまう不安はなかったのですか?

頭1つリードされたのを後ろからついていく方が楽だし、自分がリードしても後半バテるのはわかっていました。
でも、「頭1つ前に出たうえで、そのペースを楽に保つんだ」と頭の中で自分に言い聞かせながら泳いでいました。
それくらいのリスクを負わないと、弱い方は勝てないと思ったんです。

失意の現役引退、そして現在

――ソウルオリンピックでは100m平泳ぎで13位、4×100mメドレーリレーで5位入賞を果たされました。当時まだ大学1年生。当然「次のバルセロナも」とモチベーションは高かったのではないかと思います。

……それが、帰ってきて遊んでしまい、ダメになってしまったんですよ(苦笑)。
でも何をして遊んでも、まったく面白くなかった。
米川先生に相談すると、「お前の生活の中心は何だ?」と聞かれました。
「水泳です」と答えると、「その中心がうまくいってないのに、他の何をしても面白いわけがないだろう」と諭されまして……。
それでもう1回頑張って、91年にはインカレ(日本学生選手権)で優勝することができました。
――バルセロナへ向けて、万全だったわけですね。

万全の状態で代表選考会に臨みました。この大会を最後にしようと、賭けていたんです。
その結果が……、なんと決勝でフライングによる失格ですよ。
あのレースでは僕も含めて3人が故意によるフライングとみなされ、失格になりました。
ソウルの後の4年間の仕上げが、それですよ。決勝で泳ぐことすらできずに、水泳人生が終わったんです。ひどいですよね。
――納得できなかったでしょうね。

納得なんかできるわけないですよ、今でも夢で見ます。
正直、審判をどうにかしてやろうかと考えたほどでした。
でもしばらく経って冷静になると、「水泳の神様が『頭をクリアにして、考え直せ』と言っているんだな」と思えたんです。
それで何をしたかというと、まず太ったんですよ。
――え? わざと太ったんですか?

ええ、絶対に現役復帰できないようにね。
絶対に現役に戻れない体にしないと、また現役に戻ってしまう。未練を断ち切るために、太ったんです。
――そうですか……。 その後もかなり引きずりましたか?

6、7年は引きずりましたね。
その間、水泳はTVなどでも見ませんでした。やっと次の次の大会(2000年シドニー五輪)くらいから、素直に応援できるようになりましたけど。

――水泳に限らず、アスリートはいつか競技を続けることをあきらめなくてはいけない時がきます。例えば、競技は高校で終わりにしようと考えている現役の高校生に、いろいろな経験をされた長畑さんだからこそできるアドバイスはありますか?

そうですね。絶対続けるべきだと思うんですよ。強くなろうがなるまいが、そんなことはどちらでもいいと思うんです。
競技成績が良ければ社会に出てからも成功するかといえば、そうではない。
例えばサッカーなら、ゴールに向かってシュート練習をするとして、1日1回しか蹴らないヤツより1日1000回蹴るヤツの方が上手くなる。
そういうことをきっちりやって欲しいですね。
そして考え方や蹴り方は自分で工夫して欲しい。高校までは蹴らされていたかもしれないけど、大学では自分で工夫し、いろいろ考えながら研究しなければダメだと思う。
大学生とは、そういう時期です。だから高校で辞めずに、大学でも続けて欲しいですね。
例えば選手としてではなく、マネージャーとしてでもまた違った見方ができるでしょうしね。

《取材/構成=スポーツライター 佐伯 要》



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