line4.jpg

HOME > メンタルインタビュー > メンタル「片山右京」

カーレーシング

片山 右京 ukyou katayama

カーレーシング

1963年、東京都生まれ。F1で97年までの6年間に95戦の日本人最多出場を記録するとともに、予選5位という日本人最高位記録を残す。99年ル・マン24時間耐久レースに参戦し、日本人チーム初の総合2位。2000年GTオールスター戦、総合優勝。小・中学生のころから登山に親しみ、96年から98年にかけてモランボン(4808m・フランス)、97年マッターホルン(4477m・スイス)、モンテローザ(4634m・スイス)、ブライトホルン(4164m・スイス)、98年にはキリマンジャロ(5895m・タンザニア)、エルブルス(5642m・ロシア)に登頂。2001年にはチョ・オユー(8201m・ネパール)に登頂、2002年には、エベレスト世界最高峰に挑戦する予定。

片山右京

失うものは何もないという心境になれば、集中力を妨げる雑念は消える

―NHKのドキュメンタリー「ようこそ先輩」は素晴らしかったですね。

「たくさんの方にほめていただき大きな賞もいただきました。ドキュメンタリーをつくるうえで、子どもたちの本音を引き出すことが大切だと思いました。今の子どもたちは大人たちがどうしたら喜んでくれるとか、わかっているんです。カメラが回っていると『なんとかちゃん頑張れ頑張れ』と演技をします。まず、このメンタリティーを白紙の状態にしなければなりません。子どもたちをパニックになって泣き出すまで追い込み、追いつめられたときに自分のなかからどれくらいのパワーが出てくるのかを気づくようにし向けたのです。本気になって身体を動かせば自分に何ができるのかを知ってほしかったんですね」

―今のスポーツ界でも、スタンドで控え選手たちが「頑張れ」と応援しています。それは彼らの本心ではなく、きっとそうあるべきだという周囲の期待に対して演じているのです。そのような自分の心のなかにあるみにくさや負けず嫌いを素直に出せる環境づくりは大切ですよね。ところで片山さんは、登山や野外活動を通じてもさまざまなメッセージを発信されていますが、若い人に何かを伝えるときにどういったことを大切にしていますか。

「どんなことでも自分の経験をもとに話すようにしています。たとえば『これ熱いからさわっちゃいけない』と言われ、『そうか熱いのか』と思って、それを別の人に『熱いからさわっちゃいけないんだよ』とさわってもいないのに自分の経験のように言うのがイヤなんですよ。だから実際に『ジュー』と手に当てて試してみて初めて『熱いからさわんないほうがいいよ』と言うようにしています。そうしないと子どもたちも大人たちも聞いてくれません。体験したことをもとにメッセージを伝えるということが大切なのだと思います」

―メンタルの部分でも、失敗して強くなるという側面もあります。しかし最近は、失敗しないためのレールを指導者が最初から敷いてしまい、そうした経験数が昔に比べて減ってきているように感じますね。ところで、F1レースという普通の人には絶対に体験できない世界で経験されたことをお聞きしたいと思います。レーサーというのは極限のスピードを争うわけですから、どんな状況にも対応する究極の集中力が必要だと思いますが、片山さん流の集中力の鍛え方はどのようにされていたのでしょうか?

「僕にとって集中力というのは、レースをやるうえでの永遠のテーマだといえるかもしれません。極端に集中したとき、一年に一度くらいスピード感がまったくなくなることがあるんです。ベルギーグランプリやモナコグランプリ、88年にル・マンに出たときも経験したのですが、最初は音がなくなるんです。まわりの音が聞こえなくなって、次に色が消えて、まわりがスローモーションになるんです。ル・マンのときは、最高時速384kmで走っていて、そのスピードからブレーキングして、あと1mmコーナーに寄れるなどと考えながら、まわりはスローモーションで動いていくんです。なぜそんなことが起きるのかは、わかりませんでした。なぜそうなるのかが、それ以降僕にとって大きなテーマになりました。こうした集中力をいつも意識的にコントロールできればと思っていました。
 
ほかの例で考えてみると、たとえばだれでも自転車でひっくり返る瞬間に、石ころとか道路の傷とか画像を覚えているじゃないですか、ぶつかる瞬間とかにゆっくりなるよなぁって。あの集中力を、必要なとき、たとえばレースで2時間出せればいいんだなって思ったんです」

―多くのスポーツ選手が似たような体験をしているものです。ボールが止まって見えたり、的がどんどん大きくなったりというぐあいにです。しかし偶然という場合が多く、意識的にその集中力を引き出すことは難しいですよね。必要なときにそのような集中力を引き出すには何が必要だと思いますか。

「まず、心に引っかかって集中を妨げるようなものをひとつひとつ取り除くこと。たとえば、僕の父はいつも『お前はプロになったんだから、もし、私が死ぬときとレースが重なったなら、レースに行け』と言います。もし、そうなったら、つらいけど僕はレースに行きます。プロだから。でも、ヘルメットの中ではワンワン泣いて、集中力なんて出ないですよ。やはり集中力を高めるには、心に引っかかるものがあっちゃいけないと思う。くだらないけど、おふくろとケンカしないとか、あんな人にあんなことを言わなければよかったとか、心に引っかかることを残さないようにする。公明正大にお天道さまのもとでレースをする。もちろん、経済的な不安もないようにする。まずそこからなのかなぁと思うんです。だからレース前は、心に引っかかる物事をひとつひとつ消していく作業が大切になりますね。

しかし、音が消えて、色がなくなって、スローモーションというレベルの集中力を、意識的にコントロールするというのは難しい。永遠のテーマでしょうね」

―このような究極の集中力というのは、科学的な説明は難しいのですが、多くの選手たちの経験から考えてみると、ギリギリまで自分が追い込まれて、最後の一線を超えて「もうダメだ」とあきらめた瞬間のふっと力が抜けるような感覚にとらわれたときに生じることが多いようです。しかしレース前から集中力を高めるさまざまな工夫をされているわけですね。

「やっぱり昔のことを振り返ると、全日本で次のレースで自分が日本一になるかどうかというときには、集中を高めるために1週間ぐらい前から口も聞けなかった。F1は別として、今ならスタートの前までバカな話をしていて、カメラに向かってピースサインしていても、車に乗り込んですぐにテンションが高まります。やはり経験でしょうか。イメージトレーニングも大切にしていますが、今自分は何をすべきかというイメージをつくれれば、数分か場合によっては、10秒でもじゅうぶんかもしれません。いろんな意味で、人によく見てもらおうとか、もし結果が出せなかったらとかプレッシャーがなくなってきて、失うものは何もないという心境になれば、集中を妨げる雑念は消えますから」

98%くらいまで頑張っているっていうのが大切。あとの2%は運まかせ

―「無」の心境に近いですね。やはり、スタート前から結果を気にしたり、周囲の期待にこたえようと強く思えば思うほど、反作用的に、そのとおりにならなかったときのことが次々にわいてくるものです。自分は自分と考えられればいいのですが、多くの選手たちはそれに引きずられますよね。

「いざスタートというとき、そのリスクを背負う瞬間がきたら、行く人間と戻る人間の二通りだけど、僕はいつでも行ける。さぁ、行こうとパッと立ち上がってヘルメットをかぶれるようになってからは、ヘルメットをかぶる前の10秒ぐらいあれば、全てを遮断して集中できるようになってきました。前は邪魔するものがいっぱいありすぎた。自分が弱かったから、自信もなかったんだろうし」

―強くなったキッカケというものは、何かありますか。

「キッカケは、1回じゃないかもしれない。何年もレースをやっていると、たくさんの友達の死を乗り越えなければならなかったし。自分でも何回も『あっ』と思ったらもう意識もなくて、ヘリコプターに乗せられて、集中治療室でパイプだらけで目を覚ましたということがありました。そこからレースに復帰するまでの時間。そこで考えることが大切になります。『死』というものの概念の持ち方ですね。

時間と理由にちょっと差異があっただけで、人間は死ぬんだなという当たり前のことを改めて実感したんです。94年にアイルトン・セナが死んで、その前の日にローランド・ラッツェンバーガーが死んで、その一週間前に姉が死んで、その1カ月前に僕は誤診だったのですけど、がんであと半年しかもたないと言われて、頭がごちゃごちゃになった時期があったんです。寝てるときも風呂に入っているときも、食事をしているときも、『死』というものを背負っていたので、それを乗り越えたとき、人生に開き直れた。よく命がけでレースをやっていると言われますが、かけていないですよと言えるようになった。人の生死はあくまで結果であって、それは町を自転車で走っているのと一緒ですって言えるようになって、だからこそ逆に大事なものが見えてきた気がする」

―心理学でも死の持つ意味は大きいですよ。人はいつか死にます。そのときには、お金も名誉も持ってはいけない。それはしょせん、この世の何十年という間だけ通用するものです。そう考えると、何かセコセコ考えているのがバカらしくなってしまいます。それよりも、この世に生きている間に、自分らしく生きるのがいいですよね。そうすれば一日一日、一瞬一瞬を大切に考えられます。

「プロが言う言葉じゃないかもしれませんが、『結果じゃないんだ』ということでしょうね。よく120%頑張れたと言いますが、120%なんかありえないじゃないですか。最高でも100までしかなくて、その100だってありえないと思う。少なくても98%くらいまで頑張っているというのが大切であとの2%は運まかせ。そうやって開き直ったら、なんにも怖いものがなくなった。自分がやるべきことの一点だけに集中して、アクセル踏んでハンドルきるという感じです」

―いい意味での運まかせですよね。しかしスポーツ選手の多くは、すべて自分でコントロールできると錯覚しています。すると結果ばかり気になります。そうなると自分の実力すら出しきれなくなってしまいますよね。ところでレースを行ううえでの、イメージトレーニングの方法についてもう少し具体的にお話しいただけますか。

「プロになってしまうと、走行するラインや車の動きというのは知っててあたりまえになってしまいます。でも、最初はまず、そのイメージをつくるところからですね。プロは、そのラインに最大でも2cmぐらいの誤差でコントロールしなければならないというようなことが要求されます。今、イメージすることで大切に感じているのは、『ああ
うっかり』ということに気をつけるためのトレーニングです。
 
たとえば、ル・マンではひとりで3時間以上走っているときがあります。長いとついうっかり忘れてしまうというのがあるじゃないですか。そうしたミスを防ぐために、やらなければならないことを、イメージによって、システム化されて身体が覚えているという状態にします。無線交信の時間、さまざまなメーターチェックの時間を正確に忘れずに行うようにするわけです。

走っている時間は、ある意味で休んでいる状態です。身体だけ運転席において運転させ、イメージでつくったスイッチがピッピッと入ったときに、無線で交信したり、車の状態を説明したり、燃料とかコンピューターの入力を変えたりするのです。それをどのくらいのタイミングでやろうとか、そういう戦略的なイメージングが大切になってくるんです。

走っているときというのは、いい意味で四六時中『抜いた』状態でいるんです。みんなが勘違いしているのは、集中力というと力が入って『やるんだやるんだ』という状態だと思っているという点です。実は『やるんだやるんだ』という気持ちは変な力みを生むので必要ないんです」

―たしかに多くの選手は、自分の最高のプレーをしたときに、どのように動いたのか、はっきりしないという意見が多いんです。それは、「そのように動こう」と意識したプレーではなく、無意識のうちに身体が反応したからなんです。それは変な構えた気持ちや力みが出ないからこそ、柔軟に対応できるということなのです。ところで、レースではスタートが大切だと思うのですが、その展開を客観的にイメージするということはないのですか?

「どちらかと言えば、スタートした瞬間というのはどういう展開になるか想像がつかないので、反射神経にかけたほうがいいんですよ。イメージするとしたら、前後のドライバー確認をしておいて過去のレースのデータ上でアイツはクセでアウトから来るなとかを考えているぐらいです。武道と同じでアイツの得意技はこうだというように。

それでも不意に前にだれかがクラッシュして自分の前を横切るといったような予想外のアクシデントが発生したりします。自分の反射神経をいちばん発揮させるためには何も考えていないほうがいい。リラックスしている状態でないと、『来るぞ来るぞ』と力が入っていると素早く反応することができません。だから何も考えないで、いつ何が起きてもそれに対処できるように気だけ張っているというような状態でいたほうがいいんです」

ポジティブな見方に変えればすごい「気」が生まれる

―ところで、私は以前から、引退する選手の心理や、その後の心理に関心があります。それというのも、引退した選手が前向きに第二の人生を歩んでいくというケースが日本では少ないからです。なかには自分がその世界にいたことすら否定してしまうネガティブな意識の選手すらいます。栄光の世界からの転落という発想自体、ひとつの見方でしかないと思うのです。片山さんは、F1を引退されたあとも次々に新しいことや、事業に挑戦されていますが、前向きにポジティブ的に意識を変えていく方法があれば、ぜひ教えていただきたいのですが。

「人間工学的に身体のことはずいぶんわかってきていますが、最終的には身体を動かしているのは心だと思う。『ああダメだ』とか『ああできない』という気持ちはだれの心のなかにもあると思います。そういうときは、やはり『気』が出ない状態だと思うんです。日本語のなかには、気が弱いという場合の『弱気』、暗いヤツを『陰気』、『気が合う』『元気』とか、そういう自分の中の『気』を表す言葉があります。この『気』を出すためには、『できる』『絶対あきらめない』『頑張る』『絶対やるんだ』と自分に言い聞かせるように声に出して言いつづける。どんなときでも、これを1時間も続ければ、必ずテンションが上がります。

 だれにでも、人生で悩む時期があると思うのですが、F1をおりたときの僕もそうでした。これでスポーツ選手としては終わりなのかと思ったこともありました。でも、家族を養ったり自分の会社を運営するためにさまざまな仕事をしなければならない。講演で車の安全に関する話などをしながら、このままでいいのかと思っていました。そのような状態では、『気』なんて出ないですよ。レースでクラッシュし、1週間入院して病院のベットで考えていたのは、そういうのを全部捨てて、子どものころからやってきた登山にもう一度挑戦してみよう、そう考えたら、好きなことをやるために仕事をするんだと発想の転換ができたのです。すると2日間に1回しか寝てなくても、毎日睡眠が3時間でも、疲れなくなってしまいました。元気で困るくらいです。同じことをやっていてもポジティブな見方に変えればすごい『気』が生まれるということを実感しました」

―片山さんのお話を伺っていると絶対に言い訳せず、限界に挑戦されていますよね。みんな勝手に自分の限界をつくっているように思います。スポーツ選手は自分の70~80%くらいのところで心理的限界をつくってしまいます。これはまだ高いレベルの選手であって、中・高校生などは、50~60%くらいです。やはり心理的に限界をつくってしまうと、それ以上の力は出しきれないものですよね。

「そう思います。もういい年だからとか、家族がいるからとか、不況だからとか、自分に言いわけしてしまいます。たとえば、『腕立て伏せを1000回やりましょうよ』と言ったら、『えっ』とか『できない』とかがまずピーンときちゃうでしょ。みんなそう。先にできないという限界をつくってしまうと、方法論とかほかのアプローチがすべて見えなくなってしまいます。30回しかできなかったら30分休んでまた30回やればいいんです。『もうできません』と言っても、10秒休んだらもう1回できるものです。3日間かけてでも1000回できれば、『オレは腕立て伏せ1000回できた』という自信につながるんです。

だれでも練習したら100メートル走で10秒切れるわけではないし、僕に相撲取りになれと言われてもそれは無理だと思います。しかし、そんなもんは、向き不向きの問題です。かといってだれでもセナとかシューマッハになれるかっていったらそうじゃないけど、最初からなれないものをイメージして言いわけにしてなんの努力もしないで、ましてやお金がないからとか、コネがないからダメだという限界をつくってしまうというのは、頭を使えていないだけです。胸に手を当てて、本当に自分ができることを全部やっているかって毎日考えたら、まだ足りないって思えるはずです」

《高畑好秀著「成功するメンタル改造術」(主婦の友社)より転載》



メンタルトレーナー高畑好秀プロデュース