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陸上

伊東 浩司 koji ito

陸上競技 短距離

1970年、兵庫県生まれ。報徳学園高校から東海大学政治経済学部、そして富士通株式会社に。中学時代から短距離で頭角をあらわし、ジュニアオリンピック四百メートルリレーで優勝。高校に入学してからは主に四百メートルに焦点を絞りインターハイ、国体などで数々の成績をおさめる。大学4年時に世界選手権東京大会に出場。その後、バルセロナオリンピック代表、アトランタオリンピックでは千六百メートルリレー5位、二百メートル(準決勝進出)、四百リレーに出場。そして、98年のアジア選手権では百メートルで10秒00を記録しアジアの記録を塗りかえた。シドニーオリンピックではアスリートとして、そして後輩たちの牽引として短距離界を引っぱった。2001年4月から甲南大学の専任講師に。人がなんと言おうと自分の信じる道や方法は、絶対に譲れないという強い意志を感じさせる男。

伊東浩司

シーズン中とオフでは人が違うほど気持ちにメリハリが

―伊東さんは「アジア最速」と呼ばれ、黒人選手以外で初の9秒台を期待されました。これにより、今後の選手たちにも大きな可能性を広げたといえます。確か、もともとは四百メートルの選手で二百メートル、百メートルに転向されたんですよね。今日は、そうしたことも含めて、伊東さんのメンタリティーについて、存分にお伺いしたいと思います。そこで唐突ですが、伊東さんは、ご自身の性格というものをどのようにとらえているのでしょうか。

「私はひと言で言って感情の波が大きい性格です。性急だったり、何かをじっくりと考えこんだりと、本当に振幅の大きい性格だと自分ではとらえています。でも私自身はこの性格が、陸上競技それも短距離にとても向いていると思っています。性急というのは、陸上競技のような個人技では、いよいよ試合が近づいてきたというときには意外と自分のペースを守れるものです。基本的には、試合前の緊迫した状況のときに本音では団体行動のようなことはしたくないタイプでして……。また、シーズン中とオフ期では、大まかにとらえて感情のリズムが異なっていて、シーズン中は常に気持ちが高まっている状態に対し、オフの期間は人が変わったように穏やかです。サ―カディアンリズムではないですが、一日の流れをみても、職場では笑顔が多くリラックスしていますが、一歩競技場に足を踏み入れると人にもよく“人が変わったようだ”と言われるくらいに集中しています。でも、こうした気持ちのメリハリが、よいパフォーマンスを生み出したようにも思えます」

―確かにその気持ちのメリハリは大切ですね。では陸上競技から離れているときは、ほとんど競技のことは考えたりはしないのでしょうか。

「以前は、練習が終わったあとに、練習や試合のビデオを見たり、協議関係の雑誌を読んだりもしていましたが、今は全くそうしたことはしません。これはプロ野球やそれ以外のプロ選手に学んだことなのですが、プロ選手というのはスポーツ新聞さえも目を通さないそうなんですね。つまり、ほめて書かれたり、逆にケチをつけられたりと、日々そういうものに一喜一憂したくないということがあるのだそうです。たとえば、調子が悪くても、練習のときには集中して、終わったらスパッと忘れてしまうとか。そうすれば競技のことに振りまわされずにすむのです。以前私は、24時間陸上競技のことばかりを考えていて、食事をしているときでもその話をしていたいくらいでした。アスリートというのは普段でも視野が狭くなりがちですが、そうした競技への思い入れが強ければ強いほど、どんどん視野が狭くなってしまいます。ですから、私は意識的に他種目の選手といろいろ話すようにしてきました」

―そうした気持ちの切りかえ以外にも、他種目の選手の動作やフォームが自分のパフォーマンスに役立てられないかと考えたことはありますか。クロスオーバー的な発想は持たれたのでしょうか。

「陸上競技というのは、すべてのスポーツの原点だと思っているので、他種目の動作はとても勉強になります。トレーニングでお世話になったワールドウィングの小山裕史先生にも投手の投球フォームを例に、投手は踏み込んだ足をしっかり押さえることで身体に対してブレーキをかけ、その力を逃さずに上半身に伝えていくことを教えてもらいました。私自身も、スピードスケートの動きなどを参考にはしてきました。
 具体的にいえば、私は常に水上や氷上を歩くイメージをつくり、それを大切にしてきたのです。今、陸上競技のトラックはゴム製の素材がちりばめられたものですが、もし芝生の上を走るのでしたら体重を乗せていくことで地面にしっかりとスパイクをかませることができます。でもゴムの上では、がむしゃらに力を加えたのでは逆に跳ね上がってしまってマイナス要素になってしまうのです。薄氷の上を歩こうとすれば、割れてしまうことも考えなければならず、できるだけ力を入れず滑るように歩くのがよく、そうすれば自ずと速歩きになるという考えです。このことは、池に石を投げて遊ぶ飛び石遊びのことをイメージするとわかりやすいと思います。力を思いきり入れて上からたたきつけるように投げてしまえばすぐに沈んでしまう。逆に軽くスナップをきかせて横からスライドさせるように投げるとピョンピョン……と跳びはねていきます。そのイメージが私の走りに近いような気がします」

筋力が弱いと言われている選手は筋の使い方に気づいていないだけ

―先ほど出てきた小山さんは、走法において母趾球で蹴るのではなく“拾う”ような感じで走るのがよいと言われているようですが。

「そうですね。母趾球というのは走りにおいては重要なポイントで、スパイクにもその部分はピンが集まっています。私もトレーニングではその部分に一点集中させます。走るときもその一点で接地するイメージを持っています。そしてその一点をどのような角度で落として、どこに“打って”いくかということもよく試行錯誤したところです。つまり、面のイメージではなく、あくまでも点をどのように動かしトラックのどこに“打って”いくかを考えたのです」

―その点のイメージと“打つ”というイメージはとても興味深いですね。陸上競技それも短距離選手でなければ、面のイメージとまではいかないまでも母趾球の付け根全体の線のイメージといったところでしょう。そしてその点で拾う。その感覚をもう少し詳しく説明していただけますか。

「まず蹴るということは、反動が大きいんです。ちょうどシャベルカーで地面をグニャと巻きあげる感じ。それに対して拾うというのは、多少ポイントがズレてしまいますが、脚の軌道が振り子のようになったイメージに近い。振り子のおもりの部分、これが母趾球だとしたら、それが地面につくかつかないかのところで、抵抗を受けずしかもブレずに動くという感じです。あとは振り子自体が長ければ長いほど振りはゆっくりと大きな軌跡をたどりますから、この振り子自体が脚だと考えれば、脚全体で振ると効率が悪くなるということになります。モーリス・グリーン選手の脚の軌跡をたどると、完全にひざを軸にした、ひざから下だけの振り子の軌跡になります。それが彼にとって力のロスの少ない走りということになるのでしょう」

―走る動作ひとつ取っても非常に奥が深いのですね。脚のみではなく、身体全体の筋をどう使うかなどといったイメージは持っていますか。

「私は以前、筋力がないと言われましたが、実は動かせなかっただけということに気づかされました。私に限らず、筋力が弱いと言われている選手でも、筋力がないわけではないのです。外からの形にこだわりすぎるあまり、筋をどのように使えばいいのか気づいていないだけだと思うのです。それに気づいてからは、筋の動かし方を強く意識するようになりました。たとえば、腕を動かすというのではなく、腕のまわりの筋をどう動かすかという意識の持ち方です」

ストレッチングはコンディションとイメージを確かめるためにある

―伊東さんは、けっこう長い時間をかけてストレッチングを実践されていると聞きましたが、これは先ほどの筋の使い方と何か関係があるのでしょうか。

「もちろんです。私にとってのストレッチングは、メンタルトレーニングの色彩が濃いのです。ストレッチングの段階で十分に筋をイメージしておくという感じでしょうか。毎日念入りにストレッチングをやっていると、日によっては、曲がり方や上がり方が変わっていることに気づくようになります。私自身、そうした感覚の違いから、筋の状態があるレベルよりも下だったら“走れない”という基準を設けてあります。そういうときには、そのレベルに達するまでさらに時間をかけてストレッチングを行うようにしています」

―そのようにして筋と対話しているうちに、筋は語りかけてくると。具体的にはどのようなストレッチングなのでしょうか。

「まずは自分が走るうえで必要な大きな筋群から順番にひとつずつ伸ばしていくというものです。大きな筋群では肩周辺、臀部、脚部という感じです。それぞれの部分が70%程度までイメージどおりに動かせるようになったら、今度は細かい筋に入っていくという順序です。肩周辺でいえば、僧帽筋、三角筋……という具合にです。そして筋の働きに全神経を集中させるために、集中力を妨げる外部からの情報をいっさいシャットアウトします。特に視覚と聴力からの情報は大きいので、目を閉じて、音楽を聴きながら行います。ちなみに音楽といっても日本語や英語の歌だと歌詞に気を取られてしまうので、何を言っているのかわからないようなリズミカルでハイテンポな曲で、自分が口ずさめないような曲を選択しています。あくまでも自分が筋だけに集中するため外部から遮断する目的での音楽ですから」

―ストレッチングを行うのにも集中されているようですが、試合当日の集中はどうでしょう。

「私は、競技場に着いても精神的な緊張感はありません。でも身体のほうは敏感というか、ちゃんとレースに備えて緊張しているのです。レース前に鍼を打ってもらったりもしますが、鍼が入りづらいんです。普段は全く痛みは感じないのにそういうときは鍼が皮膚の表面に軽く触れただけでもかなりの痛みが走ります。
 心では感じず、身体で感じる緊張というのが、私にとっては適度な緊張状態だと思います。そんな状態のときは、自然と集中力も高まっていきます」

―スターティングブロックにつくあたりで何か集中するためにされているようなことはありますか。

「たとえば、タータントラックの上に小さなゴミがあったとします。私はそのゴミ箱の一点のみにひたすら集中してその点だけを見つづけるようにします。外国のレースに行くと、日本国内とは違って陸上競技に詳しい人が多いので、そのときにはスタンドが静まりかえるのです。
 自分の両サイドの選手の息遣いでさえ直接耳に伝わってきます。選手の中には緊張しているのか、フーと長い息を吐く人もいる。あとは他の選手の身体の揺れや、落ち着きなくソワソワしている感じも目に入ってきます。そうしたことが安外他の選手に伝染するので、そうならないようにたとえばゴミのようなものに一点集中させるのです」

―あとは雷管に対する反応、ある程度予測も踏まえて練習もしているのでしょうか。

「音が鳴ったあとにスタートするとだいたいビリですね。これは感覚的なものですので、スタートに特化したトレーニングはしません。ある意味で、集中を通り越した世界なのかもしれませんね。ただ日常から音に対する感性ができあがっていることは確かです。練習していても、どこかで雷管の音がすると身体がピクッと自分の意志とは関係なく反応します。
 また、音とは関係ありませんが、目で見て素早く反応するトレーニングは日常生活の中で実践しています。自動車を運転していても、横断歩道に立っていても、信号が変わる瞬間にアクションを起こすようにしています。これに関しては私に限らず多くの選手たちがやっていることだと思います。その鳴るか鳴らないか、色が変わるか変わらないかという、そこに時間があるのかないのかわからないような瞬間に、身体が勝手に反応できるようにしておくことが大切だと思います」

集中力がよいときは100mが短く見える

―そしていよいよ走り出すわけですが、10秒というわずかな時間の中にも集中力というものは存在しているのでしょうか。

「時間的にはあっという間ですが、走りながらもいろいろなことに集中しています。ちょうど自動車で高速道路を走っているときの断片的とでもいうような感じですね。スタートを切った瞬間には『遅れた』『いいスタートだ』というのを感じ、途中ところどころで今自分の走っている位置を確認したりもします。10秒の間でも身体の声というか、状態を感じとるようなこともします。プールで潜水をやっているときのように、『今ここからスピードを上げてしまうと、後半苦しくなって身体がついていかないぞ』ということなどを聞きながら、走ることもあります。しかし、走り終えてしまうと、断片的だった映像がつながって鮮明になったりもします」

―話はスタート地点に戻りますが、心の状態によって100mの距離感が異なって見えることはありますか。スポーツの世界では、距離感に限らずスピードや大きさの感じが変化するということがあるようなのですが。

「ありますよ。100mが長く感じるときもあれば、短く感じることも。その差は20~30mくらいあります。短く感じるときは、スタートラインを底辺にして、ゴールが頂点の三角形に見えます。逆に長く感じるときは、どこまでもコースラインが平行線で進んでいくような感じがします。コンディションがよかったり集中力がよい状態のときには短く見えます。10秒00を出した1998年大会のアジア大会のときも、短く見えました。不思議といえば不思議です。ただ長く見えてしまうと、私はもうダメですね。その段階では修正がきかない。『もうダメだ』という先入観にとらわれて、それは成績にも反映します。多分、心で見えた距離感どおりに身体が反応してしまうのでしょう。心と身体が一体だというのを実感します」

―四百メートルと、百、二百メートルというのは生理学的にもエネルギーの発揮の仕方が異なりますが、メンタリティーは異なるものなのでしょうか。

「四百メートルのときは、距離に対する不安や他の選手との駆け引きなどを考えてレースの前日などはよく眠れないことがありました。それに四百メートルは距離が長いので、1回レースに失敗してしまうと、かなりマイナスのイメージが定着してしまうものです。特に最後の直線100mは大切で、そこでスピードがガクンと落ちて身体が動かなくなったらどうしようという不安感が頭から離れませんでした。逆に百、二百メートルは距離が短いので、そうした不安もないし、仮に1回レースで失敗したとしても、そうしたマイナスイメージは払拭しやすい。
それに、ウォームアップしているときとか、待合室での雰囲気は全く異なります。四百メートルの選手は距離に対する不安感をどこかで抱えているため、それを紛らわすためにお互いによく言葉を交わします。百メートルの選手は、全く口も開かないし目も合わせません。ここで集中している。私は、個人的にはリラックスするために人としゃべるほうなので、最初のころは個々で集中するという雰囲気がとても嫌いでした。やはり心の中の不安感を内にこもらせるよりも、言葉と一緒に弱気の虫もたたき出すというほうがいいですね。黒人選手がよく大声を張りあげるのも同じような効果をねらっているのかもしれません」

自分で確かめ、決めることがいかに大切か

―今、黒人選手の話が出てきましたが、短距離の世界では筋タイプの割合、体型などの違いがことさら言われますが、このことに対して伊東さんはどうお感じですか。

「東海大学の先輩でもある高野進さんも言っていますが、それを認めてしまったら負けなのでしょう。その違いは確かにあるのだと思います。ただそれを認めて、『どうせダメだ』と思うのではなく、認めたうえでなにかしらの方法を考えて彼らに挑戦していくのが私の信条でもありますから。たとえば、今では否定されていますが、多くの本数を走るという、いわば根性練。それをやったうえで、自分はこれだけやったんだからいけるんだくらいの過信を持つことも大切なのかもしれません。黒人選手に身体で負けているんだったら、せめて心では勝ちにいかなくては」

―最後になりますが、伊東さんは『陸上競技は人との闘いよりも時計との闘いととらえることが面白い』という言葉を残されていますが、これは具体的にはどういうことなのでしょう。

「常に目標設定をして、それに手が届いたら目標を更新していくことが大切です。もちろん人に走り勝つことが原点かもしれません。中学生ではタイム、高校生になるとインターハイのグラウンド、大学生になればインカレのグラウンド、そして国際大会になれば記録という具合に段階に応じて変わっていくものです。ただし、上にいけばいくほど、陸上競技は人との闘いになります。そうなった場合は、『人間の優劣は他者との比較において決めるものではなく、自分自身の中で決定されるもの。自分の試し方で決まるもの』と自問してトライしていかなければ打開できない。吸収できるものはどんどん吸収し、自分に新しい実験を課していくことも大切になっていくと思います」

《高畑好秀著「成功するメンタル改造術」(主婦の友社)より転載》



メンタルトレーナー高畑好秀プロデュース