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シンクロナイズドスイミング

藤井 来夏 raika fujii

シンクロナイズドスイミング・元日本代表

1974年7月5日生まれ/京都府出身
京都踏水会~井村シンクロクラブ 立命館大学経営学部卒
6歳からスイミングスクールに通い始め、8歳でシンクロナイズドスイミングを始める。
小学校6年生の時、井村シンクロクラブへ移籍。
1991年からナショナルチーム入りし、96年のアトランタ五輪で銅メダル、2000年のシドニー五輪では銀メダルを獲得した。
シドニー大会後に現役を引退し、現在は「RAIKA ENTERTAINMENT」でスイミングショー、セミナーなどを通してシンクロの普及に携わっている。

藤井来夏オフィシャルホームページ http://www.raikafujii.com/

藤井来夏

「厳しい練習をやり尽くした」という自信。それが本番での演技を支えた。

シンクロとの出会い、井村先生との出会い

――藤井さんは6歳で水泳を習い始め、8歳からシンクロを始められたそうですね。

はい。通っていたスイミングスクールで
進級するコースを選ぶ際に、母といっしょにシンクロの練習を見学したんですよ。
そのときにみんなが楽しそうに泳いでいたのを見て、「私もやってみよう」という軽い気持ちで始めました。
その時は、普通の習い事という感覚でしたね

――それが、どんどん本格的になっていったのですね。

そうです。小5の時、井村雅代先生(元シンクロ日本代表コーチ)に初めて指導していただいて、優勝を経験しました。それで「もっと頑張りたい」という気持ちが芽生えて、井村シンクロクラブの門を叩いてクラブを移籍しました。
当時私は京都に住んでいましたので、井村シンクロクラブの練習場所まで2時間くらいかけて通っていましたね。

――井村先生は、どんな指導者だったのですか?

井村先生についていけばなんとかなる、自分たちの目標に近づけてくださる、という気持ちがありましたね。アトランタ五輪で初めてチーム(8人)で出場し、銅メダルを獲得したのですが(注:オリンピックでは、当初「ソロ」と「デュエット」の2種目で実施されていたが、アトランタ大会からソロに代わって、新たに8人で演技する「チーム」が採用された)、それは先生の経験値で獲らせていただいたメダルでした。
そのメンバーの中で4人が次のシドニー大会に残ったのですが、その時は先生と共にメダルを獲りたいという気持ちがすごく強かったですね。

――井村先生の指導で心に残っていることは、どんなことでしょうか。

とにかく目標設定が明確でした。あと技術面だけではなく、いろいろな面で教育していただきましたね。

――目標設定が明確というのは具体的にどういうことか、教えてください。

シンクロでは脚を水面から高く上げた方がいいのですが、急に「10㎝上げろ」と言われたら、「そんなの無理です」ってなりますよね。
そうではなくて、井村先生は「1日1mmでいいから高く上げよう」とおっしゃるんです。
「その1mmを守ることで、10日で1㎝になる。その積み重ねが大事だよ」って。
選手も「それならできる」と思えます。そういう考え方が勉強になりましたね。

――技術面ではどういう指導だったのですか?

イメージを使った指導を受けましたね。ただ手を伸ばすのではなく、「空の星をつかみとるように伸ばせ」という感じですね。そういうイメージで引っ張った方がよりよく見える、と。
先生の中にいろんな表現があるんですよ。
脚なら「そびえたつように脚を上げろ」とおっしゃるのですが、単に膝を伸ばすだけでなく、「関節を入れて脚を引っ張って」とか「膝のお皿の上にシワを作れ」とか、そびえたつような脚の上げ方を具体的に表現してくださるんです。
それで自分で力を入れるところ、伸ばす方向を工夫するんですね。
そして「それ!」と言ってもらえたものを何回も練習していました。井村先生の中の「きれいに見える脚」に自分の脚をはめ込んでいくような感じですね。

――技術面以外では、どんな指導を受けたのですか?

どのスポーツでも通じることだと思いますが、挨拶や礼儀といったことですね。
シンクロを辞めてからの人生の方が長いから、ただ競技成績がよければいいのではなく、みんなから応援される選手にならなければいけない、と教わりました。

厳しい練習に裏づけされた自信

――藤井さんは10年間ナショナルチームに在籍されました。その練習は、相当厳しかったのでしょうね。

合宿の時は長いときだと3部練習であわせて
11時間くらい練習していました。寝ている時間を引くと、1日のうちに地に足をつけている時間の方が少ない。
だから、みんな地上でじっと立っているのは苦手なくらいでしたね(笑)。

――どのような心構えで練習されていたのですか。

常に本番と同じようにやっていました。
最初から最後まで演技をして、VTRでチェックしたり先生の注意を受けたりして、悪かったところはもう一度やる。それで100%できるようになるまで、やっていましたね。
井村先生も本番を想定した練習を重要視されていたので、環境もより本番に近い状態で練習していました。次の大会が室内で行われるなら合宿も室内でしたし、最初にポーズをとる台も本番で使用するものと同じ大きさの物を用意してもらっていました。
そうやって練習のときから本番に臨むような気持ちでやっていましたね。

――練習時間が長いと疲労も溜まり、疲れた状態で演技をすることになりますよね。本番にはフレッシュな状態で臨まれるわけですが、その違いによる身体的な感覚のズレはないのですか?

感覚のズレというのは特にありませんが、本番のときだけ力を入れると、例えばリフトした時にバランスが崩れるようなことはありますので、練習のときから常に100%でやるようにしていましたね。
それと長時間練習すると集中力が切れたり、体力が消耗したりしますが、その中でどれだけやれるか、ですね。それが「練習では苦しい中でもできたのだから、本番でも大丈夫」という精神的な強さにつながると思います。

――オリンピックのような大きな大会になればなるほど、やはりプレッシャーも大きくなりますよね。

どの大会でも緊張はするものです。でも特にオリンピックは4年に一度で、注目度が高い。その中で自分たちの力がどれだけ発揮できるかという不安はありましたね。

――そのプレッシャーの中で、アトランタ五輪で銅メダル、シドニー五輪で銀メダルを獲得されるなど、数々の好成績を収められました。どのようにプレッシャーを克服されたのですか?

3部練習など長くて厳しい練習をやってきたことや、
会場入りしてからも最後まで詰めの練習をしたことで、「もうこれ以上、できることはない」というところまでやりつくして本番に臨む。それが不安を安心に変えました。
それと本番に出る前に、井村先生から「今までの選手の中で、あなたたちが一番練習をしてきた。大丈夫。思いっきりいきなさい」と後押しの一言があって、みんながいけるという気持ちになりましたね。

――練習をやればやるほど、逆に「あれだけやったのに、ダメだったらどうしよう」とネガティブに考えてしまう人もいるかと思います。そんな人にアドバイスするとしたら?

勝ったり負けたりもあると思いますが、試合で学ぶことは多いし、その結果が今の自分の実力です。この大会のために「こういうところを強化しよう」と練習してきた。その上で自分の力を出し切って、その結果がどうか、ということです。
自分の実力を知った上で、また課題を見つけて、次の大会に臨めばいいのではないでしょうか。
ただ勘違いして欲しくないのは「次の大会があるから、この大会はとりあえずここまででいい」ということではなく、その試合は一度しかないし、演技は一度しかない。「それに懸けるんだ」という思いでやらないと、ダメですね。

シンクロならではの難しさ

――「シンクロナイズドスイミング」という競技は、究極の団体競技だと思います。そんなシンクロならではの難しさはありますか?

選手個々のレベルの差は、多少あります。
その中で、それぞれの持ち味を最大限に出すことが、まず必要ですね。
それから、井村先生が徹底されていたのは「一番高いところに合わせる」ということです。
例えば水中から脚を出す時、シンクロでいいとされているのは脚の付け根、お尻が見えるところまで水中から出すことですが、でもそれだと脚の長さによって凸凹してしまいますよね。だから、一番高いところに合わせるわけです。
レベルの高い人が低い人に合わせるのではなく、レベルの高い人は高い人で上げ、低い人は低い人でもっと上げる、ということですね。

――他の団体競技、例えばサッカーではレベルの高い選手がギリギリのところへ速いパス出しても、他の選手が取れないようなパスは評価されないことが多いですが……。

それだとレベルがそこで止まってしまい、目指しているところまで上げられません。
他の国、例えばライバルのロシアも練習してレベルが上がっていく。
だからレベルが上の選手は上の選手でレベルを上げ、下は下でもっとレベルを上げることが要求されるんです。
チームで8人が並んだとき、上の選手が目立って下の選手が隠れるのではなく、8人1人1人が10点満点の演技ができないとダメなんです。

――言うのは簡単ですが、なかなかできることではありませんよね。

選その差は細かいところなんです。
ナショナルチームに呼ばれる選手ですから、脚が上げられる選手と上げられない選手がいるわけではありません。
上げられるけど不安定だったり、高さが足りなかったり、カウントがズレたり……そういうところです。
それは何が何でも上のレベルに合わせる。そこは譲れないですね。
下の選手は目に見える手本があるんだから、まだ楽ですよ。
つらいのは、上の選手です。
上は上で、理想や自分の見えない敵、例えばロシアのトップの選手などに向かってレベルを上げていかなければならないわけですからね。

――シンクロは採点競技です。採点競技ならではの難しさは、どんなところですか?

「観客にうける演技」と「審判にうける演技」があります。
オリンピックでは会場の観客があっと驚くような演技も必要なのですが、いろんな国のいろんな年代の人がいますから、みんなが理解できるものでないといけない。
井村先生は、土地柄、文化などいろいろ調査されていましたね。
日本的なものは、イタリアなど繊細な国が多いヨーロッパでは受け入れられやすいのですが、アメリカではそうでもない。
それと、審判の先入観との戦いでもあるんですよ。

――先入観ですか?

例えば、前の大会で1位がAという国で、2位がBという国だったとします。
そうすると、次の大会でBがAと同じレベルに追い着くだけでは勝てないんです。
どうしてもAの方が上という先入観が働きますから、それ以上のことをしないとダメなんですよ。
だから1回の試合でポンッと追い抜くのは難しいでしょうね。

――その大会の一発勝負ではないのですね。

前の大会くらいから、上のチームに追い着いて「次はどちらが勝つのだろう」というところまでいってないと、チャンスはないです。
あとは「いかに10点を出してもらうか」ですね。私の現役時代だと、ロシアはほぼ10点に近いわけです。だから9.8だと、もうダメ。
10点を目指さないとロシアより上にはいけないですから。

――「こうすれば10点を出せる」といった方法論はあったのですか?

「日本人が目指す10点」はあったと思います。
例えばロシアは手脚も長く、バレエの要素を取り入れたシンクロを作り上げました。
日本人は手脚が短い。だから同じことをやっても体格で劣って勝てないんです。
でも日本人には力強さがありました。日本人の強みは力強さ、歯切れのよさです。
だからスポーツシンクロという、芸術にスポーツの要素を加えたものを作り上げた。
井村先生の中にはその基準があって、そのために「より高く、より力強く」でないとダメだったんです。

シンクロの楽しさを伝えたい

――藤井さんは、2000年のシドニー五輪後に現役を引退されました。

現役を引退しようと思ったのは、納得できたからです。金メダルを逃したのは非常に残念だったのですが、それまでの練習のプロセスや、「先生とともにメダルを獲る」ということに対しては、自分の中で達成感がありました。
演技自体も先生に褒めてもらえたので、力は出し切れたかな、と。
年齢的なことも考えて、引退することに自分自身が納得できたわけです。

――引退後、どんな思いでシンクロの普及活動を始められたのですか?

長年シンクロに携わってきましたが、これからも何か携わる方法はないかと考えました。
やはり皆さんは間近でシンクロをご覧になる機会がないと思いますので、普及活動をしたかったんです。
シンクロでも競泳でも、水の中に入るのは健康的で楽しいことです。
その楽しさを知って欲しいと思って、現在の活動を始めました。
今は目標を「○○大会で金メダル」というような形では持ちにくくなりましたが、
やはりシンクロを身近なスポーツと思ってもらえるように、幅広く普及させたいですね。

――同じシンクロでも、今までと違う部分があるのでしょうね。

今までは試合で審判にアピールしていました。
1㎜のことに神経を使って、審判に高い点をつけてもらえる演技にこだわっていたわけです。
でも今は「プールサイドで見ていただける皆さんに楽しんでいただければ」と思っています。
心からそう思わなければ伝わらないと思いますので、気を遣って「楽しんでもらおう」と演技するのではなく、本当に自分たちも楽しみながらやっているんですよ。

《取材/構成=スポーツライター 佐伯 要》



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